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養源院の血天井ってどんなの? 写真では分からない驚きのお話。

      2017/07/13

出典:https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000229

出典:https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000229

 

京都には

「養源院(ようげんいん)」というお寺があります。

このお寺の見どころは、

「血天井」と呼ばれる天井です。

この血天井には、隠された悲しいお話が

残っているのです。

 

・涙なしでは語れない養源院の血天井とは?

京都の養源院は戦国時代に活躍した

浅井長政(あざいながまさ)の菩提を弔うために

建てられたお寺です。

大河ドラマにもなった「お江」が再興しました。

彼女は、徳川家に嫁いだので以後、

養源院は徳川家ゆかりのお寺として

深い縁を築いていきます。

その象徴とも言えるのが

「血天井」なのです。

え?どうして天井が?と思いますよね。

養源院の天井は、伏見城の床を

移築して使われているのです。

そして、この伏見城こそ、

徳川家康が忘れるに忘れられない

負け戦の場となったのです。

 

時は、1600年。

秀吉が亡くなり、徳川と石田三成が争う

関ヶ原の戦いが起こる少し前です。

徳川家康は、石田三成の挙兵を誘うため、

関東へ出陣します。

その前に、伏見城に入ります。

その時、部下の鳥居元忠に一言

「すまない」と謝ります。

涙を流したとも、言われています。

どうして謝るの?

と思うかもしれません。

家康は今から、関東に出陣します。

すると、確実に石田三成は動き、

伏見城を落とすだろうと。

そうなれば、伏見城に残る元忠は戦死してしまいます。

伏見城には、1800人ほどしか残していけないのだから。

これは、伏見城を守る元忠に

「負けて死ね」と

いってるも同然の命令でした。

だから家康は、謝ったのです。涙ながらに。

元忠は、覚悟していました。

自分は、この伏見城をなるべく長い間もたせて

石田三成の足止めをして死ぬことを。

そして、家康が元忠と最後の別れをして

伏見城をたちます。

すると家康の読み通り、

石田三成は動きます。

そして・・・

伏見城は石田の陣に包囲されます。

鳥居元忠1800人、石田軍は40000人

圧倒的不利でしたが、死を覚悟した鳥居元忠は

奮戦しわずか200の兵士で

大軍の中に突撃し、突入を3度に渡って

阻止したといいます。

しかし、多勢に無勢、

戦局を変えられず、

ついに、最後の時を迎えます。

鳥居元忠は、伏見城で自害し、床に

血の跡が残ったと言われています。

石田軍は、その後、家康を追って、

関東に向けて出発します。

そして・・・関ヶ原で両雄は

激突するのです。

 

鳥居元忠が自害したところの床板が

現在、養源院の天井にかかげられています。

家康に尽くした忠義、

壮絶な最後を遂げた三河武士たちは

「武士の鑑」として後世に語り継がれることになります。

その証が血天井なのです。

養源院の血天井には、

写真では分からない壮絶なお話が

残っていたのです。

徳川家康が涙したという

悲しい敗戦のお話でした。

養源院には、鳥居元忠が

自害した場所の床が天井になっており、

今でもその血を見ることができるそうです。

鳥居元忠の忠義の証を見に

訪れてみては

いかがでしょうか?

 

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