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祇園祭の山鉾の歴史って? 今さら聞けない京都の疑問に答えます。

   

写真-2

 

7月の京都のイベントといえば、

「祇園祭」ですよね。

この祇園祭のメインイベントと

いえば「山鉾」です。

でも、この山鉾って

どうして、こんな大きな山車に

なったのでしょうか?

以外と知りませんよね。

本日は、そんな山鉾について

ご案内いたします。

 

・祇園祭の山鉾ってどんな歴史があるの?

祇園祭の山鉾の歴史って

どんな歴史なのでしょうか?

それには、まず祇園祭のおこりから

みていかなくてはなりません。

記録の中で一番最初に祇園祭が

登場するのは

869年のことです。

平安京に疫病が蔓延し、

どうしようもなくなっていた頃です。

神様にお願いをして、疫病を

どうにかして欲しい!

ということで、祇園にある

八坂神社の神様を御神輿に乗せ、

お祭を行ったとあります。

これが祇園祭のおこりです。

その時に、鉾も一緒に持って行ったとあります。

すでに、最初から祇園祭には

鉾が使われていたのですね。

この時代では、疫病の流行は

疫神が生活圏に蔓延するのだと考えられていました。

その対処方法とされたのが、

疫神を一カ所に集めて、

川などに流して送るという行事の

遂行でした。

そこで、689年に下京区の方たちは、

自分の生活圏を守るために、

お祭を行ったのです。

その方法は疫神が興味を示すと

言われる美しい神座をつくり、

その神座をひきまわすという

方法でした。

そして、集めた疫神が逃げないうちに

鉾を解体するか川に流すか、

燃やすかしていました。

現在の祇園祭も同様に、

山鉾は巡行を終えると

すぐさま、解体して午後には

さっぱりなくなってしまいます。

放っておけば、街中にまた

疫神が戻ってしまうからです。

現在でも、その考え方は

変わっていない様ですね。

でも、不思議に思いませんか?

鉾といえば、武器ですよね?

ちょっと変ですよね。

今の山鉾を見ると

武器っぽくないですし、

鉾っぽくないですよね。

その歴史ってどんなのでしょうか?

実は、689年にすでに使われていた鉾が

現在の山鉾のような巨大なものになったのか。

というのは謎に包まれています。

869年の頃の鉾は普通の鉾で、

山鉾のような大きなものではなかったようです。

現在の山鉾のような巨大な山車が

出るのは、南北朝をはさみ、

戦国時代の頃には確実に存在していたようです。

その証拠に、洛中洛外図屏風に

祇園祭で山鉾がひかれている姿が

描かれています。

一体、どこで変わったのでしょうか?

実は、1376年に書かれた

『後愚味記(ごぐまいき)』には

6月14日の欄にこう書かれています。

「高大鉾転倒、老尼一人被圧死云々」

とあります。

圧死とあるのでつぶされて一人の

尼さんが亡くなられたようです。

つまり、この頃すでに鉾が

相当の大きさになっていたようです。

そして、当時

山車が出ていた記録が残されています。

そしてその山車が戦国時代になり、

山鉾が登場すると出てこなくなります。

おそらく、山車と鉾がいつの間にか

ドッキングしてあの大きな

山鉾になったのではないか。

と言われています。

ただ、現在どうしてこのような

山鉾になったのか。

というのは議論がわかれていて

具体的なことは謎なようです。

派手な山鉾の謎を追いに

山鉾をご覧になってみては

いかがでしょうか?

宵山はいよいよ

7月16日です。

宵々山は7月15日に行われ、

山鉾の巡行は7月17日の予定です。

 - 京都観光