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三十三間堂の通し矢の距離は? 本当に端から端まで射るの?

   

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/通し矢#/media/File:Toshi-ya_00.jpg

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/通し矢#/media/File:Toshi-ya_00.jpg

 

京都のお正月の風物詩といえば、

「三十三間堂」の通し矢があります。

お正月に、新成人の人たちが、

三十三間堂の前にたち、

弓を放つという伝統行事です。

実際に見た事があれば、分かりますが、

三十三間堂は、長いです。

三十三間堂の端から端まで

弓矢を通すことは出来るのでしょうか?

 

・三十三間堂の通し矢とは?

三十三間堂の通し矢とは、

京都市にある

三十三間堂の

西側の軒下を南から

北へと一気に矢を通す競技のことで、

江戸時代に大変流行しました。

それにしても、三十三間堂といえば、

千体の仏様がいらっしゃるお堂のことです。

一体、何mあるのでしょうか?

そして、実際に矢を通すことができるのでしょうか?

三十三間堂の堂前廊下の全長は

約122mです。

かなりの広さがありますよね。

さらに、実際に弓道で使われている距離は

約60mです。

そう考えると倍近い長さを通さないといけない。

と考えるとかなり、難しい競技。

だということが分かりますよね。

これが通し矢なのですが、

現代は、

新成人が三十三間堂前に並び、

的に向かって矢を射ます。

もちろん、この時は122mではなく

約60m先の的に向かって射ます。

もしかしたら、一度は、

ニュースなどでご覧になったことが

あるかもしれません。

実は、あれもちゃんとした競技になっており、

制限時間2分で2本を射て、2本とも的に当たれば、

予選通過、

そこからは、外した者は脱落していき、

最後まで当て続けた選手が優勝となる。

という立派な競技だったんです。

ニュースなどでよく取り上げられるのは、晴れ着姿で

矢を構える新成人の女性の姿ですよね。

実はちゃんと競技で熱いバトルが繰り広げられているのです。

しかし、江戸時代には、もっとスゴい競技として

行われたのです。

江戸時代頃から行われていた通し矢ですが、

先ほどの新成人が行うものとは違い、

三十三間堂の軒下から122m離れた的に

一昼夜矢を放ち続け何本的に当たったかを

競う過酷なものでした。

なんと、この競技に徳川家康が

一番多く的に当たった者に「天下一」の

称号を与える。

となった為に、各国の弓名人たちが

ワッと押し寄せ大ブームに。

なんと、東京浅草にも三十三間堂を再現し、

通し矢が行えるようになった。

という事も!

それだけ皆さん熱心に通し矢を行っていたのですね。

そして、特に熱いバトルを繰り広げていたのが、

尾張藩と紀伊藩。

この二つの藩でした。

一つの藩が天下一の称号をとれば、

負けじともう一つの藩が取り返すという

シーソーゲームを繰り広げできた記録が

一昼夜矢を放ち続け8133本名中。

なんと6秒に1本は矢を放っていた計算になるそうです。

恐るべし!24時間、6秒に1本を放つという

脅威の記録をみせて、現在もこの記録は

破られていないそうです。

今でも、三十三間堂の軒下には、放った際に

打損じた矢が刺さっていたりします。

もし、新春に三十三間堂に訪れることがあれば、

軒下をご覧になってみてください。

激しい戦いの後をご覧になることが

できるかもしれません。

 

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