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鶯張りの廊下が京都二条城にはどうしても必要だった意外な理由とは? 実際の音は?仕組みは?

      2018/07/19

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/二条城#/media/File:Nijo-jo_Ninomaru-goten_2009.jpg

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/二条城#/media/File:Nijo-jo_Ninomaru-goten_2009.jpg

 

鶯張りの廊下といえば、二条城が有名ですね。何故、二条城では普通の廊下ではなく鶯張りの廊下でなくてはならなかったのでしょうか?二条城に鶯張りの廊下があることをご存知だという方でも、どうして二条城に鶯張りの廊下が必要だったのかという事まではなかなか存じ上げませんよね。しかし、この二条城に鶯張りの廊下があるのには、意外な理由があったのです。その理由とは?そして、実際にどんな音がするのでしょうか?その仕組みとは?分かりやすくお答えしますよ。

 

・鶯張りってどんなの?

鶯張りとは、敵の侵入を知らせるために作られた他の廊下とは構造的にまったく違う床のことです。この鶯張りと呼ばれる床にした場合、歩くと床がきしむ様になっており、そのきしみによって音が出るようになっているのです。中世頃から使われ出したと言われています。主に大名屋敷な大きなお寺などに、配置されることが多いです。外部などの侵入者から守るため、この鶯張りがある廊下は重要な場所に通じている場合が多いようです。つまり、鶯張りが張ってある廊下や床の先にはその建物にとってとても大切な部屋などに通じてる可能性が高いです。そんなことを考えながら見てみると、「あっ、ここは鶯張りだ。ということはこの先に重要な何かがあるんだな!」と分かります。ちょっとでも、そんなことが思えたら楽しいですよね。

 

それにしても鶯張りはどうして音がなるのでしょうか?長年つかっているとたわんだりして、音がなることがありますが、最初から音をならすことができるなんてスゴいですよね。鶯張りの床の仕組みは、こうです。

床板を取り付けるときに、隙間をあけつつ、目かすがいということろに釘を打ちます。すると床に重力、つまり重さがかかると、隙間がうまります。その隙間が埋まると斜めに打たれた目かすがいと釘が重なり、音がなるようになっているのです。この時になる音が「ホーホケキョ」と聞こえるかな?となるので、その「ホーホケキョ」といえば、鶯なので、鶯張りだと言われています。ちょっとネーミングのされ方もオシャレで風情がありますよね。

 

・二条城に鶯張りがされる意外な理由とは?

二条城に鶯張りの廊下がある意外な理由とは何なのでしょうか?その理由を解明する前に知っておかなければならないことがあります。それは二条城は一体どうして造られたの?ということです。これを知らないと納得できないかもしれません。

では二条城は一体どうして造られたのでしょうか?現在の二条城の歴史は江戸時代に始まります。え?現在?と疑問に思った方、するどい!そう。実は日本史において二条城と呼ばれる建物はいくつかありました。現在現存している二条城は、江戸時代に造営されたものです。もちろんそれ以前から二条城と呼ばれるものがありました。古くは室町時代に足利尊氏から足利義満まで三代の将軍が二条にお屋敷を持っていました。当時はそこに政権があり、最重要人物が住んでいたということで武装化が計られ二条陣や二条城という名前で知られていました。そして次に造られた二条城は「織田信長」によって造られたものです。あっ、これが今の二条城でしょ!と思いたくなりますが、違います。こちらは二条通に面した烏丸から室町の御池上ル付近の場所に天正4年(1576年)に織田信長が滞在した場所に造られたのが二条城でした。これでもないの?じゃあ誰が造ったの?現在の二条城と呼ばれるのは織田信長が造ったものではなく徳川家康が造ったものだったのです。その場所は現在と同じ二条通堀川に造られたものです。建築が始められたのが慶長6年のこと1601年です。この頃から、住んでいた町家の住民を他の場所へ立ち退かせ、土地を確保した跡地に造らせています。その後、2年の歳月を経て完成しています。それにしても、町家を立ち退かせてまで、造らせた二条城にはどんな役割があったのでしょうか?

 

実は、二条城には徳川幕府にとってなくてはならない大事な場所だったのです。そのなくてはならない大事な場所とは一体なんなのか?皆様は遠出する時に、なくてはならないものとはなんでしょうか?交通手段?それとも、食べるお店?観光スポット?それらも大切です。そして、最も大切なのが「宿」です。そうです。二条城は、徳川家が京都に居る時の「宿」となるために造られたのです。宿にしては本当に立派ですよね。それもそのはずです。もちろん主目的は宿となることなのですが、それ以外にも戦国時代まっただ中ですから、陣営として軍を入れたり防御施設を築けるようにする必要があるのです。そのため、あんなにも大きなお城になったのです。かの有名な大阪冬の陣では、二条城は徳川家康の本陣となり、ここから大阪城へ出陣していったのです。また夏の陣でも、でも、一つここで疑問が出てきませんか?二条城といえば有名な狩野派の絵師たちにより、たくさんの絢爛豪華な絵があることでも有名です。なのに、戦などに使われていたというのは不思議ですよね。そう思った方は鋭いです。実は1619年に大阪夏の陣の4年後に二条城は大改修を受けています。というのも、この年に徳川家から皇族へ入内があり、そのため徳川家の泊まる宿である二条城を戦仕様からラグジュアリーあふれる宿に変えなくてはならない事情があったからです。そうして1年で改修を終えお輿入れが行われます。6月18日のことです。二条城から出発して後水尾天皇のもとへ入内していきました。これで皇族とのコネクションが出来上がりました。1624年には、再び大改築が始まります。今度は先ほどのコネクションをつかい後水尾天皇の行幸が行われることになったからです。この時に二条城は西に少し広がり、お庭も造られ、さらに天守も位置を変えたりされています。2年かかり、1626年9月6日に後水尾天皇の御幸が行われ、5日間滞在したそうです。その時に歌会や乗馬、蹴鞠などが行われ盛大で絢爛豪華であったと言われています。二条城はこの時が最盛期であり、宿としての昨日も皇族が宿泊されるほどのラグジュアリーホテルのような感じであったと伝えられています。

 

その後、1634年に家光が30万の家臣と共に二条城で宿泊して以後は幕末までの間、徳川家が泊まる宿としての活躍はありませんでした。ということで、二条城の役目というのは徳川家が滞在するための宿として建造されたものだということが分かりましたね。そのため、鶯張りの廊下というものがとても大切になってくるのです。この二条城に滞在したのは徳川家のほかに皇族の方たちも滞在しております。当時の日本においてとても大切な要人です。そのため、入念なセキュリティーが必要だったのです。鶯張りの廊下は当時の最高のセキュリティーの一つでした。なので、二条城には、鶯張りの廊下があるのです。

 

・京都駅から二条城までのバスやタクシーでのおすすめのアクセスは?

京都駅から二条城までの行き方はバスかタクシーをオススメ致します。

す。市バスをご利用される場合の所要時間は30ほどです。

料金は230円となっております。

まず、京都駅から市バスのバスターミナルへと移動していただきます。

バスターミナルは新幹線の八条口ではなく、京都タワーやグランビアホテルのある京都駅正面の1F中央口を目指して下さい。

京都駅から源光庵に1本で向かうおすすめのバスは、のりばB1から発車する9番のバスです。10駅先の二条駅前という駅で降りてください。そこから徒歩で3分ほどで源光庵に到着いたします。(700メートルくらい)

京都駅のバス乗り場の地図は下記の画像をクリックして下さい。

京都駅バスのりば

二条城前からの徒歩のルートはこちらをご覧ください。

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せっかくの京都旅行なので、バスの待ち時間や、他の停留所に停まる時間、降りてから歩く時間を短縮して観光の時間にたっぷり時間を使いたい方、また、時刻表を調べたりする手間や歩く距離を減らして体力を温存したい方には、タクシーがオススメです。

小型タクシーの料金の目安は1100円前後です。

4人で載れば、快適な車内の旅が275円で楽しむことができますよ!二条城前までおおよそ10分ほどで到着致します。京都駅前にはタクシー乗り場がございますので、そちらにご移動していただきまして、タクシーにご乗車ください。

単純な移動に1100円前後の支払いはもったいない!
そんな方には、運転手つきの車をチャーターすることもできます。
行き先のルート調べや、荷物から綺麗さっぱり開放されたい方におすすめです。

京都観光を満喫する貸切タクシー
嵐山タクシー 1時間1台5000円です。
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