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金閣寺の見どころガイド。足利義満が金の3階建てにした苦悩の秘密とは?

      2018/09/29

kinkaku

 

お子さんから、「これってどうして?」なんて聞かれた事ありませんか?

その時に答えられたら良いのですが、うっかりと答えられない事もありますよね。

 

例えば、旅行先の歴史、建築物なんてなかなか答えられません。

もし、旅行先でそんな疑問をお子さんが口にしても、

大丈夫なように予習しておきませんか?

もし、「どうして?」と聞かれてスラスラ答えられたら、

お子さんに、尊敬されスゴい!と思われる事でしょう。

そしたら、もっとお子さんとの距離が近くなって

仲良くなれるのではないでしょうか?

そうだったら、嬉しいですよね。

 

そうしたきっかけを作るためにも、

是非旅先のことについて知っておきたいですよね。

今回は、京都でも有名な建物「金閣寺」について

簡単にお子さんでも分かる様にご案内致します。

是非、パパすごい!お父さんスゴい!なんて言われてみちゃってください!

 

・足利義満が金閣寺を建てるまでの苦悩の歴史

 

京都の観光地の中でもダントツで人気がある一つが金閣寺ですよね。

その金閣寺って誰がどうして建てたのというのは、定番の質問でしょうか?

その質問にスラスラとお子さんでも分かりやすい言葉で解説してくれたら、

きっと歴史の興味も深まって、お子さんの歴史の成績も上がるかもしれませんね。是非、金閣寺に訪れる前に知っておきたいですね。

 

その為には、まず歴史背景と金閣寺を作った

足利義満について詳しくしっておきましょう。

金ぴかの金閣寺を建て、室町幕府の将軍として活躍した人物ですから、

さぞかし成功者として楽な人生を送ったのでは?

なんて思うかもしれませんが、実際はそうではありませんでした。

 彼は、苦労に苦労を重ね、武家と公家、社寺との狭間で戦い続けました。

 

 

金閣寺が建てられたのは、室町時代という時代です。

この時代は、京都にあった皇族が北と南に別れて争っていた時代です。

北側に味方していたのが、足利尊氏という人物です。

後に室町幕府を作る人物で、

今回の主役である足利義満のおじいちゃんにあたる人物ですね。

江戸幕府の将軍職は代々徳川家が務めていた様に、

この時代の将軍職は代々足利家が務めることになっていました。

その足利家に生まれたのは正平13年(1358年)という年でした。

おじいちゃんである足利尊氏が亡くなってちょうど100日目に生まれたのです。

彼は、長男ではありませんでしたが、お兄ちゃんは早くに亡くなっており、

実質、長男として扱われ、彼が後に将軍職につくことは決定していたのです。

そのため、幼い頃からしっかりと帝王学を伝授され、

日本の頂点にたつ人物として育てられてきました。

 

 

正平22年(1367年)に早くもその職がまわってくることになります。

なんと、お父さんの足利義詮(あしかがよしあきら)が

病気で亡くなってしまうのです。

ということで、なんと10歳という幼い年齢で彼は、

将軍職につくことになったのです。

10歳という幼い年齢ですから、当然周りに支えられながらの将軍です。

 

その後、非常に有能な人物として活躍していくことになるのです。

まず、日本の混乱は勢力が3つあることにあると考え、

武家の棟梁として武士たちをまとめあげていくことになります。

そして20歳の頃に武家の出身でありながら、公家社会に進出を果たします。

今度は、公家として公家の勢力を拡大していきます。

そうして積極的に政治に参加してその頭角を表して行く事になります。

 その象徴的な出来事として、1380年の出来事があげられます。

この年に、奈良の興福寺が社寺領の返還を求めて訴えをはじめます。

そのやり方というのが、神仏に訴えかけ、

反対する勢力を呪い殺すというものでした。

もちろん現代では通用しない手ではありますが、

当時として本当におこるかもしれないと戦々恐々でした。

貴族たちが恐れて会議や朝廷に顔を出さなくなる中、

平然と政務をこなしていたのが義満でした。

結果、その態度で折れてしまった興福寺はその訴えを取り下げ、

京都から奈良へと帰って行ってしまいました。こうした出来事があり、

義満の地位は否が応でもあがっていくことになり、

権威を示すことになりました。

 この出来事があり、義満は社寺の勢力を危険視するようになり、

後に、彼が出家をするきっかけになったとも言える事件でした。

 

1392年、足利義満34歳の頃、

北と南で二分していた皇族が一つになることになります。

その手助けをした最大の功労者が足利義満でした。

なんと58年にもわたる朝廷の分裂を終結させました。

それも、自身が味方する北朝の有利になるような

形での終結を見ることになったのです。

こちらの明徳の和約と言われ、

歴史的な和約は京都の大覚寺というお寺で締結されることになったのです。

 こうして、公家、武家としての頂点に立つ事になった彼は、

次に寺社の頂点に立つ事を目指すようになります。

1395年、37歳の時に息子に将軍職を譲り、

太政大臣になった後に出家をして隠居生活を始めることになります。

 

これで、武家、公家、社寺、と日本の3つの異なる勢力の

全ての頂点にたったことになるのです。

日本で、これだけの権力を手に入れたのは、

足利義満だけなのでは?と言われるほど絶大な権力を

その手に握ることになったのです。

 こうして、彼が39歳の時に北山に別荘を建てることになります。

これが、のちに金閣寺と言われるのです。

 

金閣寺というのは、彼の時系列で言えば、

隠居の為の別荘という位置づけになるようですね。

しかし、別荘とは言っても政治の中心地には代わりありません。

今で言う首相官邸や外務省、財務省など政府に

必要な省庁が一挙に集まった場所でした。

そうしてその象徴として建てられたのが金閣寺です。

 その中で、日本の実質的なトップとしてある「答え」を

金閣寺の中に込めました。

 

・金閣寺が金ピカの3階建になっている秘密とは?

 

金閣寺は、3階建てで建てられています。一階が公家様式の造り、

そして二階が武家様式の造り、三階が仏間として使われてきました。

これ、何かを思い出しませんか?

 そう先ほど、公家、武家、社寺、全ての権力の上に立ったと言いましたが、

その全てがこちらに備わっているのです。

 公家様式、武家様式、そして仏教の様式と

この金閣寺には彼の権力の象徴が詰められているのです。

そして、公家が一階、そして武家が二階にあるということも、注目です。

公家よりも、武家の方が上にきている。

つまり、すでに公家の世の中は去って、

今は武家の世の中になっている。

ということを暗に示しているのです。

 きっと、京都の公家たちは、

この金閣寺を見て騒然としたのではないでしょうか?

私たち公家がないがしろにされている。

静かに怒りがこみ上げてきても不思議ではありません。

しかし、誰も心で思っても言葉に出したりして批判することはできませんでした。

それほどまでに彼の権力は絶大だったのです。

誰にも文句は言わせないぞ。というような感じだったのでしょうか?

この金閣寺を見ても、

彼が武家の社会が公家より上ということを

明確に力強く訴えているように見えますよね。

そして、金閣寺が金ぴかな理由についても、ご案内致します。

 何も、3つの勢力全ての上にたち、

その象徴を示す金閣寺を建てても、金ぴかにする必要は無かったはずです。

では、なぜ金ぴかにする必要があったのか。

それは、彼が中国との貿易を始め、

海外のお客様を迎える必要があったからです。

中国や、海外に自分は日本の国王だという書状を何度か送っています。

そのため、海外のお客様、国賓などは、

彼の邸宅に交渉や取引としてやってくるわけです。

 その時に、当時でも高級であった金箔で貼られた

邸宅に案内されたらどうでしょうか?

現代の私たちでも、絢爛豪華、ゴージャスでお金持ちみたいと思うのです。

当時の人たちが見たら、どれだけの衝撃だったことでしょう。

 日本は、とてつもないお金持ちなのではないか?

豊かな資源があり、貿易をしていくのに最適な国なのではないかと

思うはずです。

その思惑は、遠いヨーロッパまでひろまり、

「黄金の国ジパング」という噂へと発展していくのです。

遠いヨーロッパの国まで広がるのですから、

彼の思惑としては成功したといえるのではないでしょうか?

 日本の3勢力をまとめた彼が金閣寺に残した答えとは、

日本の次は、世界へ進出するという足がかり的な位置づけとして

この金閣寺を建立したのではないだろうかというものです。

 迎賓館として機能したと言われる金閣寺は、

日本はおろか、世界目線で見ていた足利義満の視野の広さを

物語る建物だったのではないでしょうか。

 お子さんに語る時は、この建物は日本だけでなく、

世界に向けて日本はこういうところだよ。

というものをみせるために作られたんだと言ってあげると

良いかもしれません。

黄金のように豊かで絢爛豪華、

勢いがあり、錆びることがないそんな姿勢をこの金閣寺に込め、

武家にも公家にも対応できるおもてなしの

粋を極めた建物だったのです。

 

・一休さんに登場する将軍様は足利義満?

 

足利義満といえば、もう一つ有名な顔がありますよね。

アニメ「一休さん」に登場する将軍様です。

将軍様は一休さんに無理難題を良い、それをうまいこと返されてしまう。

というお決まりのパターンがあります。

そんな将軍様の正体は足利義満なのです。

そうなれば、一休さんの遥か上の存在である彼が

一休さんと仲良く喋っているなんてことが

あるのでしょうか?

 実は、アニメだけの特別な演出

というわけではなさそうです。

彼は、非常に権力を持っていながら、

芸能や芸術をとても大事に思っていました。

時には、お祭の踊り子などを公家や武家の偉い方たちを差し置いて、

自分のそばにおき楽しんだといいます。

こうした側面があり、身分を問わず面白いと思ったら自分のそばに置き、

話を聞く良い将軍という一面があったようです。

そのため、アニメ一休さんのように、

地位が低い人でも将軍様と話したりしている。

というのもあながち嘘ではないようです。

 

・金閣寺の拝観料金は?

09:00~17:00までの時間帯で

拝観することができます。

拝観料は

大人400円

小中学生300円と

なっております。

 

金閣寺の便利なアクセスはこちらをご覧ください

URL:http://arashiyama-taxi.jp/kankou-blog/kinkakuji-access

 

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