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血天井で有名な源光庵の写真では分からない涙を流す話とは? 養源院とは違う魅力があるのが源光庵。

      2018/04/18

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源光庵に残る血天井という天井があります。天井の板が血でシミになっているのです。一見、おどろおどろしいものに見えるかもしれませんが写真では分からない悲しいお話が伝わっているのです。それはきっとガイドブックには載っていないかもしれないお話です。このお話には日本の歴史を動かしたかもしれない壮大なお話と、天下人が流した涙で構成されています。どうしてガイドブックに書かないのだろうか?と思うくらい魅力的なお話なのです。本日は源光庵に残る血天井のお話と、源光庵で有名な2つの窓についてご案内致します。

・血天井に残る悲しい涙のお話とは?

時は、1599年。時の天下人である豊臣秀吉が亡くなり、再び世に不穏な空気が流れ始めた頃です。この時、豊臣家の将来をかけてちょうど豊臣家が二分していたのです。主に前線に出て戦う「武人」たちが揃うグループと石田三成らを中心に内政面を担う「文人」グループに。その対立は豊臣秀吉がなくなる以前からありましたが、豊臣秀吉と前田利家がおさえていたのです。しかし、1599年の春に前田利家が亡くなります。これで、二つのグループの対立の抑えであった豊臣秀吉と前田利家の二人がなくなり、いよいよ表面化していったのです。

 

1599年には、文人派のグループである石田三成が武人派の加藤清正らによって襲撃される事件などがあり、すでにこの時には、豊臣家は二分されていたのです。その二分した勢力が表面化し、武人派と文人派の対立が避けられないところまできてしまったのです。こうして文人派の代表である石田三成は、武人派の代表である徳川家康と戦う準備を始める事になるのです。

 

年が明け1600年についに事は起こります。その事件は、関ヶ原の戦いが起こる少し前のことです。上杉景勝を討伐するという名目で家康は諸大名の軍勢を集めて、軍勢を編成すると大阪から出発します。というのは、嘘でこっそりと家康も軍勢を集めており、それを結集させ、石田三成を叩くという作戦に出たのです。こうして大阪から江戸へと向かうことで、石田三成が動き、陽動するという作戦です。これで石田三成が挙兵すれば、石田三成ら文人派を一掃し、もし動かないようであれば、そのまま上杉家を滅ぼし、天下を盤石なものにしようと徳川家康は考えたのです。関東へ向かう道中に京都の伏見城に入ります。そして、その世の宴会の席で部下の鳥居元忠に一言「すまない」と謝ります。その言葉を言った家康の目には涙が流れていたとも言われていますえ?どうしたの急に?どうして謝るの?と思うかもしれません。実は、家康は部下である鳥居元忠にこの伏見城を堅守せよ!という命令を出していたのです。家康は明日、この伏見城を出て関東へと向かいます。すると、確実に石田三成は動き、家康を追いかけるであろうと。そうするならば、必ずこれは伏見城を落とすだろうと。そうなれば、伏見城に残る元忠は戦死してしまいます。伏見城には、1800人ほどしか残していけないのだから。これは、伏見城を守る元忠に「負けて死ね」と言っているのも同然の命令であったのです。だから家康は、謝ったのです。涙ながらに。元忠は、覚悟していました。自分は、この伏見城をなるべく長い間もたせて石田三成の足止めをして死ぬことを。そうすることで、徳川家はもとより天下を泰平の世にしてくれると確信していたのです。そのためであるならば、死もいとわない。そのような壮烈な覚悟をもってこの伏見城を守ろうと覚悟していたのです。

 

次の日、家康が元忠と最後の別れをして伏見城をたちます。すると家康の読み通り、石田三成は動きます。そして・・・

1600年7月18日。この日、石田軍の進軍が開始され、宇喜多秀家を大将に副将小早川秀秋、島津義弘たちが進軍を開始します。そして鳥居元忠のろう城する伏見城を攻撃しはじめました。鳥居元忠1800人、石田軍は40000人圧倒的不利でしたが、そこは徳川を幼い頃から助け、一緒に戦場を駆け抜けた武人。死を覚悟した鳥居元忠は奮戦しわずか200の兵士で大軍の中に突撃し、突入を3度に渡って阻止したといいます。しかし、多勢に無勢、戦局を変えられず、ついに、最後の時を迎えます。最後まで戦い最後まで一人でも多くの敵を倒し続けた鳥居元忠は、城に戻り、自害したといいます。その時に流した血が床にのこり、血の跡が残ったといいます。鳥居元忠が亡くなりました。享年62歳でした。氏を覚悟してのろう城と忠節は後世「三河武士の鑑」と称されたといいます。この時に、伏見城を落とすのに時間がかかった為、西軍のその後の動きは予定よりも大きく遅れました。この遅れが天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いに西軍の不利となって、影響していくのです。だからこそ、鳥居元忠は天下太平の世の礎を築いた知られざる英雄だったのです。

 

・鳥居元忠が自害した場所の床の行方は・・・?

その後、彼への忠義に報いる為に徳川家によって源光庵の天井に伏見城の床が使われたのです。家康自らが、この床を踏んではならない。と言われ、天井に掲げ、彼らの菩提を弔ったそうです。源光庵の血天井には、写真では分からない壮絶なお話が残っていたのです。徳川家康が涙したという悲しい敗戦のお話でした。源光庵には、鳥居元忠が自害した伏見城の床が天井になっており、今でもその血を見ることができるそうです。悲しいお話ではありますが、忠義者の鑑と言われる彼の忠義の果たし方。どこか涙を誘うものがありますよね。源光庵に訪れた際には、必ず天井を見上げ彼らの安らかな眠りを祈って上げて下さい。

 

・源光庵にある有名な2つの窓とは?

源光庵は、京都の北区にあり1346年に建立されています。このお寺が一躍脚光を浴びることになったのは、1995年のことです。何があったのか・・・実は「そうだ京都、行こう」で1995年に紹介されたのです。

 

この時のポスターは、丸い窓が写っており、その先に紅葉した木々が映し出されています。ポスターになるほどこの丸い窓がとても有名なのです。このポスターが発表されてから、源光庵は秋になると必ずたくさんの方が訪れて、この窓のところで立ち止まるのです。たかが丸い窓でしょう?なんて甘くみていてはいけません。この窓には私たちの心の奥を揺さぶってくるような深い理由が込められているのです。この窓は「悟りの窓」と呼ばれています。禅寺では、しばしばこうした何も変哲がなさそうな窓やお庭にたっぷりと仏のエッセンスを加えたりしてます。源光庵でも同じです。この丸い窓、「悟りの窓」にはその悟りという形のないものが表現されているのです。ありのままの自然の姿、角がない、つまり、傷つけない。滑らかで丸く穏やかな心の内を形にされているのです。その悟った窓から見える景色は自然です。人工物ではなく自然が映っているからこそ、穏やかな気持ちでこの窓を見ることができるのです。清らかで偏見のない姿、悟りの境地を表していると言われています。この悟りの窓から見る景色はあなたにとって清らかなものなのでしょうか?それともザワザワとするような気持ちなのでしょうか?まだまだ迷いがあるな、なんて気持ちを再確認できる心の計量装置なのかもしれませんね。でも、悟ってる人なんてほとんどいないでしょ!日々迷うことばっかりだよ!という当たり前のお答えもあります。

 

そんな方にはもうひとつ、とっておきのオススメがあるんです。それが「迷いの窓」というものです。こちらは「迷いの窓」の隣のございます。こちらは、角があり、真四角な形をしております。もちろん意味があり、丸みがないない分、隣あるので余計にその形が鮮明になりますよね。迷いがある方はここからの景色を楽しんでみてはいかがでしょうか?どちらかの窓で絶対に立ち止まりたくなりませんか?せっかく源光庵に訪れたのですから、この二つの窓からゆっくりと景色をご覧になってみてはいかがでしょうか?あなたの気分は今どちらの窓を見たいですか?悟りの窓から見るか、迷いの窓から見るか。今年はどちらから見ましょうか。

 

・京都駅から源光庵までのJR電車やタクシーでのおすすめのアクセスは?

京都駅から源光庵までの行き方はバスかタクシーをオススメ致します。

す。市バスをご利用される場合の所要時間は1時間半ほどです。

料金は460円となっております。乗り換えが一度ございます。

まず、京都駅から市バスのバスターミナルへと移動していただきます。

バスターミナルは新幹線の八条口ではなく、京都タワーやグランビアホテルのある京都駅正面の1F中央口を目指して下さい。

京都駅から源光庵に1本で向かうおすすめのバスは、のりばA3から発車する206番のバスです。7駅先の四条大宮という駅で降りてから、のりば8にて市バス6番にお乗り換えください。そこから18駅先に「鷹峯源光庵前」というバス停にたどり着きます。そこから徒歩で2分ほどで源光庵に到着いたします。(700メートルくらい)

京都駅のバス乗り場の地図は下記の画像をクリックして下さい。

京都駅バスのりば

鷹峯源光庵前からの徒歩のルートはこちらをご覧ください。

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せっかくの京都旅行なので、バスの待ち時間や、他の停留所に停まる時間、降りてから歩く時間を短縮して観光の時間にたっぷり時間を使いたい方、また、時刻表を調べたりする手間や歩く距離を減らして体力を温存したい方には、タクシーがオススメです。

小型タクシーの料金の目安は3500円前後です。

4人で載れば、快適な車内の旅が1000円以下で楽しむことができますよ!

京都駅前にはタクシー乗り場がございますので、そちらにご移動していただきまして、タクシーにご乗車ください。

そうしますと源光庵まで30分ほどで到着致します。

 

単純な移動に3500円前後の支払いはもったいない!
そんな方には、運転手つきの車をチャーターすることもできます。
行き先のルート調べや、荷物から綺麗さっぱり開放されたい方におすすめです。

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